People#003


泡盛を愛してやまない台湾人

先日、台湾・台北の赤峰街で開かれた泡盛品評会イベント。
その会場で講師を務めていたのが、旅行会社を立ち上げ、欧米市場を中心に長年“ディープトラベル”を仕掛けてきたEddyさんこと洪東焱さんだった。
沖縄の伝統酒・泡盛をアツく語るその姿に「なぜ旅行業の人がこの場に?」という素朴な疑問が湧き、気づけば話を聞かせてもらうことに。
(イベントの様子はこちらの記事にまとめました。)

このブログのPeopleカテゴリーでは、私なかちが「気になる人」に話を聞かせてもらい、その人の活動や背景を紹介しています。日常の延長で出会った“人”を通して、文化や地域の今を切り取る――そんな位置づけの記事です。肩の力を抜いて、気軽に読んでもらえたら嬉しいです。

ディープトラベルという考え方

──「旅は奥行きごと届けたい。」

Eddyさんは長年、旅行会社を経営しながら“ディープトラベル”と呼ばれる文化や暮らしの深い部分まで触れられる旅を届けてきた。単なる観光地巡りではなく、その土地の文化や歴史、人の営みまで体感できる奥行きのある旅。ガイドブックに載らない小さな町や、人づてにしか辿り着けない体験を旅の中心に据える。

例えば、イタリアではワイナリーとミシュランレストランをめぐる美食ツアー、スリランカでは世界的建築家ジェフリー・バワの建築に宿泊するツアーなど。「その土地の奥行きを知らずに帰るのは、旅の半分しか味わえていない」という彼の言葉に、思わずうん、うんと頷いてしまう。

日本市場への挑戦と、泡盛との出会い

2009年前後、台湾人旅行者の主流はまだパッケージツアー。一方、日本市場には「スルーガイド」という独特の文化があり、言語や人脈がなければ参入しにくい壁があったという。
Eddyさんの会社も当初は欧米市場を中心にしていたが、それでも日本市場を諦めなかった。

京都や大阪、沖縄を巡って祭りや町工場を歩き、人づてでネットワークを築いた3年後、ようやく日本案件の受注が始まる。そして日本観光局や電通との仕事を通じて参加した沖縄の観光プロモーションイベントで、彼は泡盛と出会う。
その豊かな香りと奥行きに衝撃を受け、背景にある歴史や人々の営みに強く惹かれた。この出会いが、Eddyさんの旅の哲学と沖縄文化をつなぐ大きな転機となった。

泡盛の豊かな香りと奥行きに触れた瞬間、Eddyさんの中で何かが変わった。そこに込められた歴史や人々の営みを知ることで、沖縄という土地の見え方そのものが変わっていったのだ。それ以来、沖縄を訪れるたびに酒造をめぐり、職人や地域文化と出会う旅を重ねてきた。「泡盛を知ることは、沖縄の奥行きを知ることだ」。20年近く続くその歩みは、Eddyさんの提唱するディープトラベルの象徴でもある。

(写真:台湾観光貢献賞を受賞するEddyさん。)

Eddyさんの旅行会社についての情報:

勝芳旅行社有限公司 台北分公司
Wawafly international tourism service
▶︎Wawafly 公式インスタグラムページ
▶︎Wawafly 公式フェイスブックページ

台湾と日本をつなぐ取り組み

泡盛との出会いを機に、Eddyさんの活動は台湾と日本を結ぶ方向へ広がった。沖縄では観光客が見落としがちな離島や集落文化に光を当て、地元の人々との交流や食文化体験を組み込んだツアーを構想。酒造訪問や泡盛テイスティングを軸にした企画も生まれた。

さらに台湾の手工芸職人と協力し、沖縄の伝統工芸とクラフト文化を融合させたワークショップ企画や、空手道・地域祭りといった暮らしの文化をスポーツ観光と掛け合わせる試みも進行中。

──「旅は消費ではなく、人や文化をつなぐきっかけになる。」
その言葉通り、Eddyさんの活動は観光業を超え、地域間交流の仕組みづくりへ発展している。

(写真:泡盛品評会にて各種泡盛について説明するEddyさん)

コロナ禍を経て見えた、新しい挑戦

2017年後期から3年間続いたコロナ禍は、台湾の旅行業界にとって大きな転換点だった。海外渡航が止まり、多くの旅行会社が縮小や撤退を余儀なくされた。Eddyさんの会社も欧米向けツアーを一時停止するなど例外ではなかった。それでも彼は、この空白期間を「次の旅の準備」と捉え、沖縄という新しいフィールドの研究に没頭した。

宿泊施設や文化資源を調査し、クラフト体験やスポーツイベントを軸とした“文化深耕型”ツーリズムを模索。さらに台湾の若い職人や起業家が沖縄で挑戦できる仕組みづくりも視野に入れる。泡盛を入り口に広がった活動は、今も地域間交流の形を更新し続けている。

(写真:Eddyさんがガイドする企画の催行時に撮影したもの)

日本の若者へ──「もっと台湾で挑戦してみて」

インタビューの最後、ふと思いついてEddyさんに投げかけた質問がある。
「日本の若い世代に、何か期待していることはありますか?」

少し考えたあと、Eddyさんは穏やかにこう答えた。
「もし興味があるなら、もっと台湾で挑戦してみてほしい。台湾は文化的にも柔軟で、人の距離感も近い。ビジネスのスピード感や試行錯誤の余地も大きいから、若い人にとっては“試す”にはちょうどいい環境なんだよね」

台湾市場の特徴として、失敗に対して比較的寛容であることや、人とのつながりがビジネスチャンスにつながりやすい点を挙げるEddyさん。観光や手工芸、フードカルチャーといった分野だけでなく、ITやクリエイティブ領域でも日本人の感性が活かせる場面が多いと話す。

「沖縄も台湾も、ある意味で“島”という共通点があって、外から来た人を受け入れる土壌がある。そこに飛び込んでみる若い人が増えれば、きっと面白い化学反応が起きるはず」。
彼の言葉は、観光業を超えて文化交流や人材交流の未来像まで見据えているようだった。

(写真:素敵な奥様と─背景が日本の国旗みたいで素敵)

Eddyさんの取り組みは、旅の企画や文化交流にとどまらず、より実務的な領域にも広がっている。
近年は台湾から沖縄へ渡って起業する人のサポートとして、法人設立やビザ申請、創業にまつわる各種手続きや運営支援、さらには原材料や輸出入に関する協力まで。
その活動は不動産分野にも広がり、置産に関する法律相談や物件選び、投資から運用・売却に至るまで、現地ならではの視点を活かしたアドバイスを提供するなど、「人と文化をつなぐ」という軸を中心に、暮らしやビジネスのフィールドでも沖縄を深く知るきっかけをつくり続けている。

これからEddyさんが描き出す“奥行きのある旅”が、どんな景色を見せてくれるのか楽しみだ。その後の数時間も彼は、台湾のことや、私自身も知らなかった“外から見た沖縄”について、たくさんのことを教えてくれた。改めて、この場を借りて──本当にありがとうございました。

People#002

沖縄と台湾をまたぐ「文化の人」伊禮武志さん 


沖縄と台湾をつなぐ「文化のしかけ人」

伊禮さんのことを、もう何年も前から知っている。伊禮さんのことを一言で表すなら、「文化の仕掛け人」という言葉だ。

伊禮さんは、沖縄と台湾、その二つの島を行き来しながら、人と人をつなぎ、新しい場を生み出してきた人だ。私が台湾に拠点を置いてからも、沖縄と台湾を行き来しながら文化交流の現場に立ち続ける人だ。
音楽の話、原住民の話、そして沖縄の未来の話。
話題の幅は広いのに、根っこにあるのはいつも「人をつなぐこと」。

同じ沖縄出身ということもあり、台湾で会うたび、どこか故郷に近い安心感を覚える。

(写真:真ん中の白いTシャツを着ている方が伊禮さん)

首里に生まれた“音楽少年”

伊禮さんは1973年、首里で生まれた。
祖母の故郷は渡嘉敷島、祖父の故郷ムートゥヤー(元家)は糸満。祖父は1972年に福祉事業として保育園を立ち上げ、地域に根ざした活動を続けていたという。

少年時代の伊禮さんはロックやダンスミュージックに夢中だった。
「中学卒業してすぐ走り屋になって、喫茶店で深夜アルバイトして改造費に全部つぎ込んでたさ(笑)」
と話すときの顔は、今でもどこかやんちゃな雰囲気が残る。

ライブハウスの皿洗いから文化事業へ

音楽そのものよりも、音楽をやっている人たちが好きだったという伊禮さん。
ライブハウスに出入りしながら皿洗いや楽器運び、楽屋準備、音響サポート…。
現場の裏方として身を置き、音楽イベントの世界に自然と足を踏み入れていった。

「ライブしては打ち上げ、そしてまたライブ。収入は全部そこに消えていったね〜(笑)」その経験は、のちに文化事業を仕掛けるときの大切な基盤になっていく。

アメリカで見た景色と、沖縄への視点

2005〜2006年、伊禮さんはロックやダンスミュージックの本場を見にアメリカへ。
マイアミ、ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ――各地でキーマンと出会い、音楽シーンのリアルに触れた。

「挑戦はしたけど、どうやってアメリカに通い続けるのか? その現実も突きつけられた」

この旅が逆に、沖縄の文化を見直すきっかけになったという。
帰国後は拝所を巡ったり、神様の存在を近くに感じる不思議な体験もあった。
それが、今の文化交流の起点になっている。

你好我好有限公司と台湾での活動

伊禮さんが台湾と人をつなぐ活動を本格的に始めるきっかけになったのは、2010年の沖縄音楽祭だ。この音楽祭で、台湾アーティストを沖縄に招致し、大きな文化交流を実現した。
当時、台湾は観光誘致に力を入れており、イベントは想像以上に注目を集め、多くの協力者や新しい出会いが生まれた。

この経験を経て、伊禮さんは台湾との関わりを深め、你好我好有限公司の経理人として活動することになる。同社は文化事業を通じて人と人を多方面につなぐことを目指す台湾拠点の会社であり、伊禮さんの活動の中核にもなっている。

(写真:イベント活動時の写真・伊禮さん提供)

你好我好有限公司(外部リンク)

3.11とラジオ番組

2011年からはJFN各局、ラジオで放送される台湾音楽番組「楽楽台湾」をスタート。
偶然にも初回収録日が日本と台湾にとって忘れられない3.11当日。予定していた番組内容は急遽没となり、その後の放送はインタビュー形式に切り替えた。津波直後に現場で応援インタビューを録音したという。

「声で届ける」ということの意味を、伊禮さん自身が強く意識するきっかけになった出来事だ。

原住民文化からの学び

沖縄の国際音楽祭で出会った原住民バンド「TOTEM」。
TOTEM公式フェイスブックページ(外部リンク)

パイワン族やアミ族のメンバーが集まり、伝統と現代を融合させた彼らの音楽は、伊禮さんの価値観を揺さぶった。

原住民の若者が豊年祭の前に自然の中で生活訓練を行うという話を、伊禮さんはよくする。
「沖縄も昔はそうだったはず。今も残そうとしてるけど、まだ足りない部分があるんだよね」
原住民文化を知ることが、沖縄文化を見直すヒントにもなっている。

最新活動:「世界音樂在 A8 ‒ 徐徐島聲 來自沖繩」展

伊礼さんの直近の活動は、桃園市A8藝文中心で開催中の展覧会
世界音樂在 A8 ‒ 徐徐島聲 來自沖繩」。

この展覧会は、沖縄の音楽・歴史・文化を台湾の人に深く知ってもらうことを目的としたもの。主催は桃園文化局管轄のギャラリー・A8藝文中心で、2ヶ月半もの長期にわたり展示会場を沖縄のために提供してくれている

しかし、台湾側の行政予算だけでは資金が足りず、沖縄関連団体からも支援を呼びかけたものの補助は得られなかった。
不足分を最終的に負担したのは、伊礼さんの会社「你好我好有限公司」
完全な民間主導で開催していることが、この展覧会のもうひとつの特徴だ。

-「本展覽承蒙多方關係者的厚意與支持,得以完整呈現沖繩的多元魅力。這是一次絕佳機會,讓您深入認識沖繩的音樂、歷史與文化底蘊。展期為2025年6月7日至8月24日,地點為桃園市A8藝文中心(鄰近MRT長庚醫院站),展區面積達330平方公尺,誠摯邀請各位蒞臨,共度一段感受沖繩魅力的美好時光。」-

展示内容は、琉球王国時代から現代までの文化・歴史変遷。
御座楽やEisa太鼓、神歌や祭祀文化、戦後の音楽復興やA-sign文化など、沖縄の多様な側面を体験できる。
さらに紅型染めや三線、琉球針突といった参加型ワークショップも多数開催され、台湾と沖縄の文化交流を肌で感じられる場になっている。

(写真:イベント会場で参加者に沖縄の歴史や文化を伝える伊禮さん)

世界音樂在 A8 ‒ 徐徐島聲 來自沖繩 展覧会情

(写真:”徐徐島聲來自沖繩”イベント会場展示品)

文化を“事業”として続けるということ

文化交流は、もともとお金持ちがやる事業だと伊禮さんは笑う。
でも、諦めずに続けていると「手伝わせてください」と声がかかる。
桃園でのイベントもそうだが、民間だからこそ動ける柔軟さと、継続する強さが伊禮さんにはある。

なかちから見た伊禮さん

台湾で生活する私から見ても、伊禮さんは沖縄と台湾の両方に深く関わり続ける稀有な存在だ。
文化や音楽の話をしているはずが、気づけば「人と人の交わり」の話になっている。
下ネタを挟みつつも(笑)、地域の未来を真剣に考えるその姿勢に、つい引き込まれてしまう。

そして、飲みの席で見かける伊禮さんといえば
――いつも泡盛をストレートで飲んでいる。
とことん泡盛好きで、時々べろんべろんになっている姿も印象的だ。
そういう“抜け感”があるからこそ、周りの人も安心して集まってくるのかもしれない。

今日もまた、沖縄と台湾をつなぐ新しい出会いの中心には、伊禮さんがいる。

People#001

沖縄を背負う変人── 黒島真洋という”現象”

台湾に来てからたくさんの人に出会ったけれど、 「この人、マジでどうかしてるな」と思った回数では断トツ1位。 それが黒島真洋さん。

沖縄県人会の会長であり、私の元上司であり、琉翔の顧問でもあり、 そして、“歩くエンタメ”みたいな人でもある。


一見ふざけてるけど、人生はガチ

黒島さんの話をすると、みんな最初は「えっ?」って顔をする。

たとえば、事務所での休憩時間。 なかなかデスクに戻ってこないと思って探しまわったら、 ソファーと在庫の段ボールの隙間に体育座りで埋もれて寝ていた。 そのまま展示物かと思った。 (本人いわく「一番風が通る場所」らしい。知るか。)

ある時は、事務所から遠く離れたカフェで、私が黒島さんを向かいにして座りながら、事務所のシャッターリモコンをいじっていたら、 「おい!シャッターが開く!やめろ!」
……いや、物理的に届くわけないです。どこまで賢くて、どこまでアホなのか、毎回判断に困る。

初めて会った時は、全身真っピンクのスーツに分厚いメガネ(ド近眼)クリスチャン・ディオールのマフラー。 ピコ太郎の癒し系バージョンという表現がいちばん近い。

でも身なりに気を使うタイプかと思いきや、 普段はボロTに毛玉まみれのスラックス。 私が「一緒に歩くの恥ずかしい」と言うまで、意に介する様子もなかった。

靴を耳にあてて「もしもし、もしもし」と笑えるのか笑えないのか、ギャグなのかボケなのかわからないことを言い出したり、 LINEでは突如「黒島スタンプ」を連投してきたり…… もはや説明不能である。

でも、そんな“変な人”が、本気の仕事をしている。

即興力と突破力で、案件を決める人

黒島さんは、即興で案件を決める。 打ち合わせでも営業でも、「何も決めてないけどとりあえず行こう」と言って、 その場で雰囲気を作り、言葉を編み、空気を動かして契約を取ってくる。

「プレゼン資料を準備して…」なんて流れとはまるで違う。 でも、その柔軟さと説得力に惹かれて、動く人が確実にいる。そして私は毎回巻き込まれている。巻き込まれ事件。

実はすごい人(ここ大事)

ここまで読んで、ただの“愉快なおじさん”だと思ったかもしれない。
でも実際は、すごい人だ。

  • 沖縄県人会 台湾支部 会長(数年にわたり日台交流を牽引)
  • 沖縄県や企業と連携した文化・経済イベントの実施や学生相手にスピーチ登壇など
  • 台湾社会に根を張り、移住者の支援も積極的に
  • 琉翔有限公司の顧問として若手育成にも貢献
  • 台湾で複数の居酒屋・飲食店を経営する実業オーナー
  • 飲食店の開業・展開支援を手がけ、現地での食文化の橋渡し役を担う
  • お酒の輸入販売業も手がけ、沖縄の味と文化を台湾へ届けている
  • IT業界出身のバックグラウンドを活かし、大手飲食チェーンへのDX支援や業務改善アドバイスも提供
  • そして何より、人と人、ビジネスとビジネスを“つなぐ力”がとにかくすごい。
  • 紹介・橋渡しの達人であり、常に人脈のハブにいる存在。

……ただし、たまに私にむちゃくちゃなことを言ってキレられる。
沖縄と台湾をつなぐ実務者であり、現場主義の体現者でもある。
笑いの渦の中から、いつも一歩先を走っている。

私にとっての黒島さん

黒島さんがいなかったら、私はここまで台湾でやってこられなかった。
笑いと(+怒りと)一緒に、「いいぞ〜、いいぞ〜」と背中を押してくれる人。

ビジネスも人生も「楽しくなきゃ意味がない」と思わせてくれた。
それは、ふざけてるようで、実はとても深い教えだったと思う。

まとめ:この人をどう定義すればいいのか

真面目かと思えば変、変かと思えば尊敬もできる。よくわからない。 でも、「黒島真洋」という名前を聞いて楽しげに「あぁ、黒島さんね」と微笑む人は、たくさんいる。 それがすでに、ひとつの実績だと思う。

この先も沖縄と台湾のあいだで、体育座りしてたり、靴で「もしもし」していたり、ビール飲んでたりしていてほしい。最近は痛風がひどくて、もっぱらハイボールらしいけれど。